2014年1月22日水曜日

アバドの思い出、その2

 昨夜は小雨、夜半に雪に変わったのか、朝起きると軽い雪景色、宿舎北側のロータリーや公園の芝生は真っ白です。その雨雲のせいか朝の最低マイナス2度弱とやや高め、ここ数日10度を割っていた室温が11度まで上昇、帰省太り1kg分のうち500g減。

 晴れてきた日中は最高7度台と低め、昼休みは同僚との週イチテニス、と思いきやコートの南側、フェンスの影になる箇所が雪と氷でカッチカチ、断念せざるを得ず。

 本日も昨日に続いてアバド追悼記事、彼のマーラーに関する80年代以降の思い出を実演中心に。

 実演に行くお金が無かった大学時代(そのせいでバーンスタイン&イスラエルフィルの9番やムラヴィンスキー&レニングラードフィルなどいっぱい逃して痛恨)、実演と録音では全く違う演奏をする(人もいる)んだ、ってことを教えてくれたのもアバドでした。

 彼のマーラーの実体験は3度、最初は'83年に東京文化会館で聴いたロンドン響との5番、奮発してA席(それでも当時8000円位か)を購入、1階の脇の方に友人と座っていると、主催者と思われる人に「ホールの設計者がここで聴きたいとのことなので、席を替わってくれないか」と言われ、移動した先は1階中央通路の後ろ1列目ど真ん中の貴賓席!

 歌うところは徹底して歌う演奏で、神(D.ウィック)始め名人揃いのLSOブラス陣の爆発度も高く、人生で聴いたマーラー演奏のトップの一つ、その後同じホールで聴いたショルティ&(ハーセスもクレヴェンジャーもいた)シカゴ響の弩級の5番('86年)より感動度は上です。

 そして演奏の燃焼度の高さはもとより、驚いたのはその少し前に録音されたCSOとのLPとの余りの違い、同盤は終楽章ラストのブラスの純度と輝かしさこそ他の追随を許しませんが、全体的にはやや端整過ぎ劇的表現は少なめ、同コンビの2番や6番ほどのダイナミズムと歌心の融合が感じられませんでした、それがLSOとの実演ではベッタベタ、特に終楽章で第4楽章の主題を回想するシーンなどフーガの流れを止めてひたすら歌ってました。

 この時の演奏はFM東京で放送され、そのエアチェックテープは今でも自分の持つ5番の最良の録音にして家宝です。

 ところでその放送時、同じ時間帯にNHK-FMが同時期に来日したマゼール&VPOのやはり5番を放送したもんだから、当時3畳ひと間の寮生活、オーディオ機器など持ち合わせておらず、リッチな友達2人の部屋を行き来しながらの間借り録音だったことを思い出します。

 ただ当時では珍しい来日オケ5番対決、巷の評判はマゼール&VPOの方が高かった気はします。

 ともあれ「レコードと実演は違う」と何度も言われつつも耳を素通りしていた言葉の意味を知り、レコードでは嫌いだったカラヤンを実際に聴く気になったきっかけでもありました。ま、実演を聴いてもカラヤンを好きにはなれませんでしたけれど(笑)。

 2度目は京都にいた頃にシンフォニーホールで聴いたBPOとの9番('94年)、最安9000円席が取れず、ホール前で立ちんぼ、何故か立見席(←ホントにチケットにそう印刷されていた!)ってのを9000円GETしての参戦。

 ベルリンフィルが一所懸命演奏していて「アバドのこと好きなんだろうなあ」と思ったのと、もう若い頃のケレン味は減って自然体に近付きつつあるアバドでしたが、それでも最後は丸々1分の黙祷をする演出を(FMで聴いて予想した通り)やったのが印象的。

 3度目は比較的最近でルツェルン祝祭管との6番(2006/10/13)、最安でも16000円、と言う馬鹿げた価格設定が始まったのもこの頃か、予算の上限は1万なので諦めつつヤフオク入札&敗退を繰り返していたところ、2枚1組だったせいかかろうじて1万/1枚で落札しての参戦。

 内容は日記に譲ることとして、オケ(←実はナメてました)の上手さが強く印象に残った公演、ここ10年に限れば屈指のマーラー体験で、その時は「ああ、またこのオケでマーラーを、特に3番を聴くチャンスはありそうだなぁ」と思ってました。

 冷静に振り返ると、後者2つの演奏のマーラー解釈は自分にはあっさり過ぎて物足りないものであったと思われ、それゆえオケの機能面の印象が強いのかなあ、と思います。

 アバドの訃報に接し、BPOの来日公演時の2番と3番に関してはホールまで行って長時間立ちんぼしたにも拘らず、「どんなに聴きたい公演でも上限1万円」というポリシーを貫いたため断念したのが、今となっては心残り、マーラーに対する自分の蒙を彼が啓いてくれたのが、まさにその両曲だっただけに。

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