「すべてがFになる」ドラマ版は音楽の月並みさにガッカリ、キャラが原作より丸くなってるのも残念、逆にその後の「素敵な選TAXI」は伏線の張り方・回収の仕方にバカリズムの才人ぶりを感じます。
音楽も「選TAXI」の人が「F」を担当してくれればよかったのに…。
本日から「すべてがFになる」ドラマ化記念で決めたこの秋の課題図書、瀬在丸紅子シリーズ全10作に取り掛かります。まずは開幕を告げる第1作、文庫化間も無い頃(10年以上前?)に読んでいるのですが、すっかり忘れてしまっているので改めて読むことに。
「イイネ!」を「良いね」と表記し(自分だったら「好いね」)、「フリータの集まるスーパのコーナはクーラが効いていた」みたいな(個人的に)違和感のある文章を久々に浴びました(笑)。
黒猫の三角 森博嗣
麻雀仲間4人がひょんなことから関わった密室殺人、それが過去から続く謎の連続殺人とのつながりを見せる中、新たな探偵役が怜悧に事件を解きほぐします。再読なのにそこはボケ老人、犯人と最初の密室は判るけれど動機と第2の犯罪の方法は判らず、と初読の時と全く同じ(涙)。ただ改めて読むと、ミステリー部分以外に色んな主張がこめられている印象。
<< 以下本作および犀川&西之園シリーズの微妙なネタバレに付き未読の方は飛ばして下さい!! >>
もしシリーズ第1作ではなくて第2作以降でこの仕掛けをやられたら犯人すら五里霧中だったと思います。あと年代や特定の人物名に言及しない点、麻雀や喫煙の認知度など、10年前の初読時には気付かなかった違和感がいっぱい!犀川&西之園シリーズの某作品を読んだ時の違和感に通じます。
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